清野翔太の自己紹介
はじめまして、清野翔太です。
この記事では、まだ翔太のことを知らないよーという方に向けて、自己紹介をしたいと思います^^
現在の活動
ビジネスコーチとして活動しています。世の中にはたくさんビジネスの支援者がいますが、ちょっと他の方と違うのは、“幸せ”を最優先にしたビジネス構築であること、個性を活かすという視点が強いこと、心も扱うところです。
継続コンサルで関わるお客様は、女性、感覚派、見えない世界や本質を大事にするセラピストの方が多いですが、男性の写真家さん等にもサポートしています。これまでのべ200人以上のビジネスサポートをしてきました。
お客様の成果としては、
●コンサルを開始して1か月で、売上4倍
●月々の売上が平均8万円だったセラピストさんが、サポート3か月で61万円の売上達成!
●コンサル初回で作った15万円の商品が、3週間で販売できた!
など、現実的な成果を意図してサポートしていますが、コンサルで関わった結果
●生きるのが楽になった
●自分を責める時間が格段に減った
●私は私でいいんだっていうことが腑に落ちて、自分らしく活動できるようになった
というマインドの変化を喜んでくれる方も多いです。
今でこそ、大好きなお客様の応援をさせてもらって、現実を創るお手伝いができるようになりましたが、実は、長いこと目に見える結果に繋がらず、苦しい思いを感じてきたんですよね。
起業当初は、朝から終電まで活動しているのに、その日食べるお金をやっと稼ぐ毎日。
貯金は1円もなく、活動場所までの電車代もなくて、シェアハウスに一緒に住んでいた仲間に借りることもたびたび。請求書はたくさん届き、将来も見えずに不安を抱える毎日・・・。
本当に辛かったですし、絶望しそうになりました。
起業するとは夢にも思ってなかった!
実は、そもそも、自分が起業するなんて思ってなかったんですよね。大学卒業するまで、1ミリも検討したことすらなかったと思います。じゃあ、どうしてこうなった!?ってところから話してみます。
俺は山形県米沢市生まれで、仙台で育ちました。
控えめに言っても、恵まれた家庭でした。家族も仲良いですし、すごく愛されて育ったなあーって思うんです。お小遣いも普通にもらってたし、欲しいゲームは買ってもらってたし、部活は卓球だったんですけど、親が強かったので特別目をかけて指導してもらってたりもしたんです。
でもね、内向的でシャイで、自己表現が苦手で、どんなふうに人と関わったらいいかが、分からなかったんですよね。
子どものときからのテーマは、どうしたら人から好かれるのか?どうしたら明るい人気者になれるのか?だったんです。勉強はできるけど、面白いことが言えなくて、スポーツもできない。だから自信もない。自分の価値なんて分からない。どうしたらみんなみたいに、楽しく生きられるんだろう?ってそればっかり考えてたんです。
大学生になって、友達いっぱい作ったら幸せになれるんじゃないかと思って、複数のサークル・学生団体・部活・学祭などコミュニティに参加しまくったり、自分で飲み会を開きまくったりしました。
友達は増えたけど、人と深く繋がれなくて、どこか満たされない感覚は消えませんでした。
だから、いろんな本を読んだりするようになりました。変わりたいって思って、素敵だなーって感じる人に、積極的に会いに行ってみたりしました。キラキラした同世代の仲間や、ぶっとんだ大人の講演会に行くようになりました。
だけど、自分は変わったとは感じられなかったままでした。安定主義者で失敗したくない自分は、そのまま間違いのない公務員になったんです。都内の地方自治体です。
東京では、いろんなイベントが開催されています。相変わらず、変わりたいという想いが強かったので、自然と自己啓発セミナーに参加するようになっていきました。そして、ある会社で開催されていたセミナーが自分にヒットしました。
幸せとは何か?どうしたら人は満たされるのか?生きる上で大切にするべき原理原則とは何なのか?
これまでずっと求めてきて誰も教えてくれなかったことを、明確に伝えている人がいたのです。感銘を受けて、無限の可能性の中で生きようと決めたのです。なので、公務員を辞めることにしました。
自己投資をしまくって300万の借金があり、お金を創れるスキルもノウハウも持っていなかったなか “手放したらそれ以上のものが入ってくる” というスピリチュアルの教えを信じて、辞めたのです。
写真は退職直前の俺です(=゚ω゚)ノ
感性とノリと勢いでどこまでいける!?路上アーティスト時代
2015年、もっと広い世界で生きたい!!そう思って、4年間働いた公務員を辞めました。
はじめたのは、まさかの「目を見てインスピレーションでメッセージ」という路上アーティストとしての活動です。
ビジネスの勉強はちょっとかじったくらいで、何にも知らずに飛び込みました。ご縁があって、コンサルをしてもらう機会もありましたが、なんか感覚が合わない!という理由で受け入れることができず、独自のやり方を模索したのです。
たくさん奇跡のような体験がありました。余裕がなくて、人に会いに行くことはできなかったけれど、自分の活動に興味を持って、会いに来てくれる人が現れたんです。
書き下ろしたメッセージを読み上げると、涙を流して喜んでくれて「家宝にします」って大げさに伝えてもらったり、路上で真剣に語り合い、時にはお客さんとお酒を飲んだり、名刺をお願いされて名刺を作成したり、お店の看板を描いて欲しいと相談されたり。そして、大みそかには、1000人の書き下ろしを達成しました!
でも、生活は苦しかった。お金はまわっていなかったのです。毎日毎日路上に出た先に、自分の本当に望む、多くの人に可能性を感じてもらうような活動ができるのか?活動はどうしたら大きくなっていくのか?人生のビジョンが描けませんでした。
ちゃんと支払いができない自分が嫌になりました。自分で仕事を創ることにこだわっていましたが、まずは自立することを大事にしようと、翌年からひたすらバイト三昧の生活へと突入します。
活躍する未来を願いながら、先の見えない闇の時期・・・
借金返済のため、とにかく支払いに追われる日々が始まりました。支払うために、ただひたすらバイト三昧の日々です。一番頑張っていた時は、17時から翌朝8時まで毎日働きました。自分の活動をする余裕はありません。
いつこの生活から、抜けられるか分からない。
このまま、フリーターのままでは絶対死にたくない・・・!!でも、一体どうしたら???
でも支払い分のお金を得なければいけないので、バイトを減らすわけにもいきません。
更に、当時付き合っていた彼女ともうまくいかず、空き時間を使ってケンカばっかり・・・。関係はどんどんひどくなる一方です。傷つけあった結果、自分には生きている価値などないのではないかと本気で思いました。そのとき、路上時代の仲間が勇気づけてくれなかったら、本当にすべての希望を失っていたかもしれません。
そんな、先が見えず、苦しい時期が1年以上続きました。
無限の可能性を生きること。誰もに価値があること。それを伝えたいのに、こんなに制限された現実があるのは、自分に力がないからです。現実を創る力が欲しいと、その時、強く強く、願いました。
壁を超えるきっかけは、仲間との事業!!
自分の活動を中心とした生活を望みながら、どうすることもできないでいた中、起業塾で出逢った仲間と、トークライブを開催することになりました。テーマは、自分らしい人生を生きるといった内容です。バイトの合間の時間をすべて投入しました。30人もの人がふたりの話を聞きに来てくれました。
そしてまさかの、その流れで、ふたりで共同事業をすることになったんです。
トークライブの特典で、無料のコラボコンサルを提供することになり、その後にふたりで夢の実現をサポートする継続サポートの商品をつくりました。仲間はビジネスに対してとても詳しい専門家でした。
俺は、路上で1000人に向き合ってきたり、Sound Souls®という個性・心の分析ツールを広める活動のサポートをしていた関係で、人の個性と本音に向き合うということに関しては専門性があったんです。ふたりだからできる可能性を感じたのです。
そして、動きだしてわずか1.5カ月で、ふたりで100万円を超える売上を上げることができたのです。自分にとって初めて、現実が動いたと思える瞬間でした。その経験を通じて自信を得たことで、これまで夢に描きながら信じられていなかった“本当にやりたいことを仕事にする”ことが信じられるようになったのです。
このことが大きなターニングポイントでした。
想いがかたちになる時の感動を分かち合いたい。
この時の感動が、自分が今活動をするモチベーションのひとつにもなっています。また、この時にビジネスが詳しい仲間と一緒にサービスを提供したことで、ビジネスに関して体系的な知識を手に入れることができました。この学びが、その先の活動に活きていくことになります。
(この年の12月、今度は仲間3人で、400人規模のホールを貸し切って、トークライブもしました。完全にノリですw)
個人でビジネスコンサルをはじめた理由
コラボコンサル終了後は、もともと関心のあった”個性”というものについて研究しました。自分には価値がないって思っていたのは、自分だからこそ、という個性と才能について理解できていなかったからなのです。自分らしく生きるっていうことを、同じように自分の価値が自覚できない人に、伝えられるようになりたいと思ったのです。
体から個性を読み解き、マインドの調整を行うことのできるSound SoulsⓇというツールを使ったセッションを、合計100人以上の人に提供して、1対1のセッションをしながら、理解を深めました。
そしてその活動をしながら気づいたのは、自分が人の夢の実現のサポートをすることに最もやりがいを感じるということでした。それで、ビジネス支援を始めることにしたのです。最初は大きな金額を稼がせる自信がなかったので、絶対に導けるという確信があった3万円という金額を稼がせる活動からスタートしました。
ビジネス支援をはじめて感じたのは、やる気と才能がある人は、もっと先に連れていってあげたい!!ということでした。現代の集客に効果的なSNSとラインを使ったマーケティングを学び、教えられるようにまずは自分で実践をはじめます。
その結果2018年10月、個人ではじめて月商100万円を達成することができました。でも、ここで、まさかの低迷期が訪れます・・・。
自分がやりたいことって本当にビジネス支援??
ビジネス支援をはじめて最初の頃、ノウハウを教えることをメインにしていました。もともと心と向き合うことが得意だったのですが、具体的に進めていくなかでは、何を実行するか?が大事だし、実行さえすれば結果はついてくると思っていたからです。
でも、それをはじめて感じたのは、ノウハウを教えるだけなら、世の中にもっとすごい人、もっとノウハウを持っている人なんていっぱいいるなってことだったんです。それに同じことを伝え続けるだけだと、自分の感性が活かせないのではないか?という疑念もありました。
自分がこれまで探求してきた心の事、個性の事、自己啓発のことや、自分の想いや才能を活かしきる自分だけの役割って何か、と思った時に、ビジネス支援であるという確信が持てなかったのです。自分がビジネス支援をして生きていこう、と決めきれてなかったので、自分の商品への確信も弱かった。
この時、相談した方から言われた言葉にいわれた言葉は衝撃的でした。
「翔ちゃんは魅力がある人だから、どんな商品でも売れるよ。でも、今の翔ちゃんは気持ちが定まってない。売れるものも売れないよね」
その通りだなと思いつつ、明確な方向性が見えませんでした。
なので、しばらくビジネス発信は封印して、個性を伝える活動を暫定的にメインに置くことにしました。ヒューマンデザインという、革新的な個性分析ツールを勉強したところだったので、とりあえず全力でヒューマンデザインを伝えることに専念しつつ、これからの活動を見つめていくことにしました。
定まった軸によって大きな飛躍!!
自分の方向性を探るうえで、必須だったと感じるのはやはり、メンターの存在でした。「翔ちゃんはどんな商品でも売れる」とリスペクトしてくれた方にお願いして、コンサルしてもらうことにしたのです。一緒に新しいサービスの方向性を探っていったのです。
それで見えてきたことは、ビジネス支援をすることに、俺がやってきた心の事や、個性のことは、活きないはずがない、ということ。勝手に、ビジネスを支援する=ノウハウを教えると、決めつけて認識を狭くしていたんです。もっとのびのびと、自分ができるすべてを使って、ビジネスの支援をしても良かったんですよね。
もうひとつは、誰に提供するか?という視点です。それまで、ゼロからカタチにする人を引き上げなければ!という意識でやっていたのですが、ある程度勉強し、自分でも頑張っている人であったり、ビジネスははじめてでもある程度自立している人の方が、より一層「心」「個性」の視点は活かされそうだというところです。
ここで、自分の軸が定まりました。それだったら、できそう!それだったらやりたい!!と思えたのです。ビジネスの知識と、個性を活かして突き抜けるためのビジネスコンサルという現在の活動がはじまりました。
それまで、俺の活動は定まらずふらふらしていたのですが、ここからはブレず、情熱も変わらずに燃え続けています。
自分の体験を通して、やはり自分の才能が活かされるポイントを見つけることは重要だと分かりました。
そして、やはりそれには、客観的に専門的な知識をもち、かつ心から応援してくれる存在=メンターが自分には必要でした。だからこそ、自分も、想い・才能ある人に、本気で支援することに意義を感じています。
そして、2019年の後半、月商100万円を3か月連続で達成し、2018年の2倍となる年商800万円の売上を上げることができました。2020年は、このまま売り上げを数倍に伸ばすことを意図して、楽しく、ゆるく、精力的に活動中です(=゚ω゚)ノ
おわりに
俺は自分の価値も、幸せの意味も、稼ぐ方法も持っていなかったんですよね。でも、だからこそそれを求めて、そこに情熱を持てました。あなたの乗り越えてきた経験と、育んできた想い、才能、ぜひ活かして欲しいと思いますし、その応援がしたいなって思っています。
これからより一層、進化していきますので、ぜひぜひ一緒にこの人生謳歌していきましょう!\(^o^)/
長い自己紹介、最後まで、読んでくれてありがとうございました。
清野 翔太
***2015年公務員を退職後、路上でのアート活動を開始し1000人の人へ作品を届ける。2016年にSound Soulsに出逢い、これまでに延べ200人以上に体験を提供。多くの人の人生を変える。ひとりひとりが個性を最大限発揮しながら、いきいきと生きる世界を目指し、夢を確信に変える体験をクリエイトしている。*詳しいプロフィールは、上の『清野翔太』をクリック(タップ)すると見られます^^
コメントを残す