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翔太物語

翔太の30万円達成紆余曲折物語その2

自分自身が、何を思って、どんな経験を経て、
大好きな事で仕事をしたいと思ったのか、

そして、小さいながらも、30万円を稼ぐという結果を出すところに
至ったのか、自分の物語を紹介してみたいと思います^^

その2です!!

さて、卒業直前に東日本大震災が起こり、
卒業式もないまま、東京の某区役所に入区しました。

大震災の時には、原発がこわすぎて離れたいと思い、
大阪まで移動してバタバタしていたせいで、
区役所から来た連絡が一向にとれず、
かなり心配されていたようでした^^;

区役所での仕事は、けっこう衝撃でした。

なんと、
大学生時代にやっていたことの延長線上にあるような
仕事だったのです\(^o^)/

地域のコミュニティの活性化のためにある部署で、
地域のボランティア団体の事務局として、
会議やイベントの準備や調整などをやっているところでした。

けっこう力仕事もあったりするので、仕事中も、ジャージ姿の人も多数!!
(後々、これは禁止されましたが^^;)

図らずしも、
やってみたいっておもっていたことが、
そのまま区役所で仕事になったのでした。

そして、個性的な面々でしたが、良い人ばかりでした。

最初は、
社会人って、働いていれば、他にやらなければいけないことって
ないんだなーーていうのが、不思議な感覚でした。

大学生の時は、なんだか予定表はびっしりで、
常に忙しかったからです。

最初は、ノンストレスな仕事でしたが、
この職場での体験は、自分にとって結果的には、
いい修行になったなあと思いますw

最初の1年目、
一緒に組んだ方が、すっごい体育会系な方で、
妥協せず、どこまでも高みを目指すことを良しとする方だったのです。

サウンドソウルズだったら、丹田・会陰かなっていう感じの雰囲気。

俺はけっこうずぼらで、抜けているところが多かったり、
安心できない場面では相乗効果でミスをしてしまう傾向があったり、

素直に相手の言葉を受け取れないことがあるので
たびたび逆鱗に触れたりしながら、
一時期は口もきかず、関係性最悪になったりしながら、

仕事はめちゃくちゃあって
昼休みなんて休む余裕は一切なく、
一番忙しいときだと・・・うーんかなり、職場にいました。
(具体的にいうのは避けておきますw)

大学生のときやっていたことの延長戦上ではあったんだけど、
それこそ仕事になったとき、足りない力がたくさんあったのかなあー。

それなりに苦しみつつも、
3年間のその職場のなかで身につけた、

●イベントでの指揮の取り方
●会議でのファシリテート
●見やすい資料作成
●間違いのないチェックの仕方
●チームとして一致感を取りながら
 進めていくための情報共有の仕方

などは、今も、大変役立ってます。
本当に、おかげさまでございます<(_ _)>

えっと仕事は3年間そのような感じだったのですが、
実は、辞めると決めたのは、入って数カ月くらいたったくらいでした。

東京で友達がほとんどいなかった自分は、
いろんなイベントに顔をだしてみたり、良くしていたんですね。

そうやって人に出逢いにいったときって、
だいたいの人が通る道だと思うんですけど、

たまたま参加した花火大会で出逢った方が、
某ネットワークビジネスをされていたのです。

で、ビジネスはしなかったのですが、
ミーティングなどにはちょこちょこ顔を出すようになりました。

そこでの話が、自分の人生を変えるひとつのきっかけになったと思います。

「好きな人と、好きな事を、好きなだけ、好きな時にやって生きられる
 夢を叶えながら生きようじゃないか」

40代や、50代の方たちが、
キラキラしたあり方、エネルギーで、
そんなことを語っていたのですね。とにかく輝いて見えた。

あーそうか。
そんな風にだって、生きられるんだな。
だとしたら、自分は今の仕事は、いつかどこかで辞めるなって、思ったのでした。

彼らの想いは、本当のように聞こえました。

誰かが決めたやるべきことや、正しいことではなく、
自分にとっては、生きる上でのひとつの本質を話しているように、聞こえたからです。

そういったところで聞いた話や、
いろんな自己啓発セミナーで学んだことや、
同世代で面白いことをやっている人から聞いたこと。

そういった話は、役所のなかで理解されるとは思えなかったので、
自分の中は、どんどん分離していきました。

どうせ理解してもらえないだろうから、話さない方がいい。
自分の時間のなかで、分かち合えるひとと、分かち合えるならいい。

また、それまでの経験や、
仕事で学んだスキルを使って、自分でもイベントをするようになりました。

仕事以外の時間は、ほとんど自分の主催するイベントの準備に費やしていました。
そのなかで、たくさんの人と関わっていきました。

20人から50人くらいの規模のイベントを、数か月に一回くらいのペースでやっていました。

みなとみらいで逃走中
ピクニック(代々木公園で飲み会です)
自分の誕生日イベント
大人の遠足
ゆるゆる音楽発表会
東京で芋煮会

イベントは夢がない自分にとっては、
ひとつの自己表現の手段でした 

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そういった話も、職場ではほとんどしていなかったので、
さらに分離していきました。

職場では、こころを開かず、苦しそうに、たくさんの仕事に埋もれているけど、
ミスが多くて、信頼されない人

プライベートでは、たくさんの人と関わって、楽しそうな人
そんな感じです

その職場での状況がかわったのは、3年目
今まで係を支えてきた人がたくさん異動になり
自分が役割を果たせなかったら、全然まわらない

そんな責任が発生したのです

たぶん意識が切り替わったのでしょう

これまでも仕事は仕事で、自分なりにちゃんとしようって
思って頑張ってはいたのですが、イマイチだった自分ですが、

その時期からは、係を引っ張るリーダーというポジションを
になっていくことになりました

それまでに学んだことを全部つぎ込んで、資料なども全部作り変えたり、
もはや仕事というよりかは、そのこだわりようはもはや趣味ともいえる感じだったw

そうしてリニューアルした資料で、
係の人に説明して評価されるのは、自分にとって喜びでもありました

相変わらずプライベートはプライベートで
いろいろやってはいたのですが、
ちゃんと職場で自立したことで、自分のなかが統合されていったような気がします

夢がなかったことがコンプレックスだった自分も、
その時期には、自己啓発セミナー等のおかげもあって、
夢のようなものが語れるようになっていました

誰もが、楽しまざるをえないイベントを、やる人になる

そして、人生おもしろくないって思っていた人が、
その場に気さえすれば人生面白いことあるかもって、思えるものを提供するんだ

そしてそうやってすこし前向きになった人に対して、
自己啓発のセミナーなどを通して、
人生の本質を伝えていくことによって、
世の中に幸せな人を増やしたい!!

そんな風に思うようになりました

だから、仕事以外の時間で自分のイベントを準備している時も、
あーこの自分のイベントに、自分の全ての時間をつかってやれるようになったら
自分の仕事になったとしたら、
どれだけ楽しいだろうなーなんて、思うようになりました

あ、ちなみに
その頃やっていたイベントでは、
ほぼ利益はでていません

一番失敗したときで、10万円の赤字がでたときもありましたw

定員50人で
参加費5000円のイベントで、
満員御礼になって、やっとプラマイゼロになる企画だったんですね。

今思うと、クレイジーすぎますね\(^o^)/

収益分岐点をちゃんと考えて、
ちゃんとすくなくとも黒字にすることの大事さは、
身を持って知ることができました。

さて、いつか辞めるだろうなあと思いながら、それが明確になったきっかけは、
日本に来た世界ナンバーワンコーチ、アンソニーロビンズのセミナーでした。

決断のワークが大きかったです。こんな感じです

***

老齢になった私は
ロッキングチェアに揺られながら、
自分の人生を振り返っています。

ゆらゆらゆられながら
最高の人生だったなって思っています

あんな人とこんなことがあった
あんなところにいった

こんなに美味しいものを食べた
こんな言葉を交わした

忘れられないあの風景
たくさん泣いたあの日

笑いすぎて、腹筋が痛くなった日

いろんなことがあった

そのときに、どんなことを想い出したいか、
考えてみてください

そして、その人生の振り返りを味わってください

今この瞬間の自分に戻って来て、
これからそんな幸せな人生を送っていくための
2つの決断

大きい決断と、小さい決断をしてください

***

自分はそこで、
小さい決断は、早起きをする、ということを決めました
大きい決断は、今年度で仕事を辞めるっていうことでした

それを思いついた自分にびっくりしました

異動になって1年目の職場でした
まだ迷惑をかけてばかり

せめて、いなくなるのが惜しまれるくらいは
ちゃんと貢献できるようになってから
いなくなったほうが良いんじゃないかと思っていました

でも、自分の人生をイメージしたとき、
自分の道を歩んでいくとしたら、
はやいほうがいいなっていうことだったのです

早起きはそうそう諦めましたが、
自分が仕事をやめるということに関しては、
それが大きなきっかけになったのでした

さて、その2では、
公務員時代終了くらいまでいきたかったのですが、
ながくなったので、また次回\(^o^)/

Category : 翔太物語
***

読んでいただいて本当にありがとうございました\(^o^)/少しでもお役に立てたとしたら、嬉しいです^^

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清野翔太

2015年公務員を退職後、路上でのアート活動を開始し1000人の人へ作品を届ける。2016年にSound Soulsに出逢い、これまでに延べ200人以上に体験を提供。多くの人の人生を変える。ひとりひとりが個性を最大限発揮しながら、いきいきと生きる世界を目指し、夢を確信に変える体験をクリエイトしている。
*詳しいプロフィールは、上の『清野翔太』をクリック(タップ)すると見られます^^

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