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翔太物語

翔太の30万円達成紆余曲折物語その5

自分自身が、何を思って、どんな経験を経て、
大好きな事で仕事をしたいと思ったのか、
そして、小さいながらも、30万円を稼ぐという結果を出すところに至ったのか、

自分の物語を紹介してみたいと思います^^

自分自身が、何を思って、どんな経験を経て、
大好きな事で仕事をしたいと思ったのか、
そして、小さいながらも、30万円を稼ぐという結果を出すところに至ったのか、

自分の物語を紹介してみたいと思います^^
 
その1 
http://shota888.com/post-207/
 
その2 
http://shota888.com/post-209/
 
その3

http://shota888.com/post-211/
 
その4

http://shota888.com/post-108/

そして、その5です! 
 
前回の投稿では、書き下ろしについて中心にかきましたが、
2015年は、ノリと勢いと、想いだけでどこまでいけるか!?
という年でした。
 
お金がないなかハワイに行くと決めて、お金をくださいって投稿したら、大炎上しつつも、
お金が集まって、2週間のハワイの旅に出て、ハワイでも書き下ろしをしました。
現地にいたヒッピーとお友達になって、その時期大好きだったけど片思いをしていた子と一緒に、キャンプをしたりもしました。
 
日本に帰ってきて、路上生活に戻りましたが、毎月毎月、生活に追われている生活に終止符をうつため、挑戦をすることにしました。
 
毎日路上に出ないで準備をするということは、その分生活のお金が必要になるわけですが、そのお金は、当時の彼女が出してくれていました。
( これはいわゆるヒモっていうやつです\(-o-)/現在返済中 )
 
100人規模の芋煮会をやると決めて、82人の人があつまって、最高なイベントにはなったけど、
利益が7万円で家賃に消えて、うん、これはアカンってなったわけです。
( っていうか、やる前に利益計算してない時点でアカンのだけど。盲目・逃避です )
 
それから、生活を支えてもらっていると、どんどん自分の存在が小さくてどうしようもなく思えてくるのですね。
だから、もうやめよう、自立しよう。もう誰にも頼らず、ちゃんと立つ!と決めまして 
2015年に1000人達成をしたら、2016年からは、バイトでちゃんと地に足をつけようと決めたのです。
 
 
 
2016年は、自分のなかで『バイトの年』『苦しい年』というだけで終わっていることになっていて、若干思いだすのに、時間がかかります。
そのなかでも、もちろん、いろんなことがありました。本当に、大号泣する時もあれば、笑い転げたときもありました。
 
バイト生活は、最初は友達から紹介してもらった、タブレット・光通信の営業の仕事をやっていましたが、
あまりにも自分に合わない、成果を出すのを求められるけど、知識無さ過ぎて苦しいwってなって、すぐにやめて、
それからはコンビニの派遣を始めました。
 
その時期の支出は、本当に大きくて、今思うと、ほんとよくやったよなって思います。

夕方の17時から、次の日の8時まで働いて、帰ってきてちょこっと作業とかして10時に寝て、15時には起きて、夕方からまた仕事っていうサイクル。
それまで、バイトで生きている人って、どこかで下に見ていたなって気づきました。
でも、そこに情熱を燃やしていたり、自分と同じように同時に事業をやっていたり、バイトでコンビニ定員やっているのに、月収50万以上稼いでいる人もいることを知りました。
毎日同じことの繰り返しで、抜け出したくてしょうがない気持ちだったけど、もう誰にも頼りたくなかったので、とにかくやれることをやりました。
足りないお金はグレイな案件にも手をだしてのりきったりすることもありました。
 
(結局のちのち、大損というか、物質的にも精神的にもダメージが大きかったその時の案件たちですが、
 今はもうほとんど、ちゃんとその時の報復wというか精算も終わっています。) 
  
で、精一杯働いていたなかで、彼女と一緒に過ごす時間もほとんどなくて、ラインでいつも喧嘩状態というか、
頑張っても頑張っても全然うまくいかない、かみ合わなくて、2重にくるしんでいました。
すごく良いひとときがあったかと思ったら、次の瞬間にはグサ!!の連続みたいな感じ。  
 
おかげでいろんな自分のなかにある不完全や、闇を知ることができました。
 
それでも、やっぱり彼女と一緒に生きようって思った時もあったのですが、その直後、ふたりにとっては大事件が発生して、爆発。
2016年の5月くらいには、その問題の極まり、自分は死んだ方がいいのかもしれないって思っていたのでした。
 
その時に、ちょうど青梅であったイベントに、行く気力もないなかでひっぱっていってもらって参加することになりました。
マリオさん、亮介、えみい、ちひろさんたちと再会して、みんなのあたたかさに涙がとまらなくなりました。
あの時は、本当にみんなに救ってもらった。あんなにも、人のあたたかさを、感じたことはありませんでした。
亮介とえみいと、よなよな語り合いました。素敵なひとときだった。
 
 
 
2016年の6月、亮介がきよちゃんと出逢って、Sound Soulsをはじめました。
すっごい興奮と情熱が伝わって来て、なんだろうーーーと大変気になりましたw
何か自分に必要なものがある気がして、バイト生活のなかで、なんとかお金を作って、初期のワークショップを受講。
亮介から、翔太と一緒にこれやりたいんだよねって、当時の自分からしたら夢のような申し出を受けて、一緒にこれを伝えると決めました。
 
正直に言えば、亮介と一緒にいられることが大事で、Sound Soulsであっても、そうでなくても良かったのです。
そして、本当はSound Soulsって、最初はよく分からなくて、何か腑に落ちなくて、よくわからないなって感じでしたw
 
それから、亮介はすごく自分にとって、格上の存在だとおもっていたので、見捨てられるんじゃないかっていう恐怖もありました。
だから、最初はできることを全力でやろうって、必死でしたw
 
一緒にやるっていう言葉の認識をお互いすりわせていなかったのもあって、たびたびぶつかるというか、かみ合わないというか、
なんでなのー!?っていうことがおこりましたw
人と共に活動していく、ていうことの大変さを知りました。
 
でも、Sound Soulsは関わっていくうちに、自分の世界観とすごく親和性がある、テーマと重なることを少しずつ理解していって、
この活動が大きくなっていって、自分のバイト生活からすこしずつ移行していけたら良いなって思いながら活動していました。
 
 
 
この年、
住む場所を高円寺→石川台→葛西→池袋(ここみ)と変えながら、バイトとSound Soulsと、日々忙しく過ぎていきました。
 
バイトは、途中で夜勤はいやだ!太陽を見たい!ってなって昼間にはたらくように変えながら
7時に起きて、家をでて23時帰宅、その後3時くらいまでSound Soulsの事務作業などなど、っていう感じの生活でした。
 
10月くらいから、Sound Soulsのワークショップを、亮介なしでも自分たちで開催するようになって、他にピアノ伴奏、たこ焼きイベント、ライブなんかでも、すこし収入になって、今調べてみたら、この年は2-4万円くらい、稼いでいる月もあったようでした。
 

Sound Soulsのシェア会 


憧れの惣士郎さんとの舞台での共演(ピアノ伴奏) 
 
 
ここみでは、自分のやりたいことと、いっしょにすむ家族というところで、
自分のエネルギーを注ぐ行動や気持ちとのバランスなんかもあったり、
 
とにかくいろんなことを感じた一年だったなあ―っておもいました。
うーん、すごいw
 
当時関わっていただいたみなさま、本当にありがとうございました!w
   
 
 
つづく

Category : 翔太物語
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読んでいただいて本当にありがとうございました\(^o^)/少しでもお役に立てたとしたら、嬉しいです^^

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清野翔太

2015年公務員を退職後、路上でのアート活動を開始し1000人の人へ作品を届ける。2016年にSound Soulsに出逢い、これまでに延べ200人以上に体験を提供。多くの人の人生を変える。ひとりひとりが個性を最大限発揮しながら、いきいきと生きる世界を目指し、夢を確信に変える体験をクリエイトしている。
*詳しいプロフィールは、上の『清野翔太』をクリック(タップ)すると見られます^^

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